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鎌倉五山にも列せられる大本山円覚寺の境内に設けられた 円覚寺庭園

円覚寺庭園(えんがくじていえん)は、神奈川県鎌倉市山ノ内に所在し、鎌倉五山にも列せられる臨済宗円覚寺派の大本山円覚寺の境内に設けられた庭園である。国の史跡および名勝に指定されている。 概要 前庭は横須賀線や県道21号が通って旧形を損じ、方形の広場は痕跡をとどめないが、円覚寺総門の手前の線路を隔てた踏切の向かい側には「白鷺池(びゃくろち)」と称する左右相対の方形の池が広がり、両池にかかる石橋「降魔橋」が現存して、総門に通じている。 白鷺池はその半分近くが埋められてしまったが、春にはサクラ、秋には紅葉など四季折々の自然の情景が池の周囲を飾っている。なお、「白鷺池」の名前は、円覚寺開山無学祖元が宋より鎌倉入りした際に、鶴岡八幡宮の神使がシラサギに身を変えて案内したという伝承に由来する。 仏殿の前にはカシワをはじめ様々な樹木が植栽されており、仏殿後方の方丈の庭園は建武年間に夢窓疎石が作庭したものといわれる。 この庭は、「妙香池(みょうこうち)」と称する心字池を中心に築かれており、池は岩盤を掘り下げてつくられたものである。池の北岸にあたる山側には、波浪の浸食を擬した虎頭岩が配されている。
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無料で開放されている 江戸城・皇居東御苑

江戸城(えどじょう)は、武蔵国豊嶋郡江戸(現在の東京都千代田区千代田)にあった城である。江戸時代においては江城(こうじょう)という呼び名が一般的だったと言われ、また千代田城(ちよだじょう)とも呼ばれる。国の特別史跡に指定されている。現在は皇居として利用され、本丸・二ノ丸・三ノ丸部分は、皇居東御苑として無料で開放されている。

概要

江戸城は、現在の隅田川河口付近にあった麹町台地の西端に、扇谷上杉氏の家臣太田道灌が築いた平山城である。近世に徳川氏によって段階的に改修された結果、総構周囲約4里と、日本最大の面積の城郭になった。

徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城、江戸幕府の開幕後は幕府の政庁となる。明治維新後の東京奠都で宮城(きゅうじょう)・皇居となった。以後は吹上庭園が御所、旧江戸城西ノ丸が宮殿の敷地となっている。その東側にある旧江戸城の中心部である本丸・二ノ丸と三ノ丸の跡は皇居東御苑として開放されている。南側の皇居外苑と北側の北の丸公園は常時開放され、それらの外側は一般に利用できる土地になっている。

皇居東御苑(こうきょひがしぎょえん)は、東京都千代田区の皇居の東側に付属してある広さ約21ヘクタールの庭園。宮内庁の管轄。皇宮警察がある。当地はかつての江戸城の本丸・二の丸・三の丸跡に位置し、少し離れた場所の西の丸を含めた、この範囲のことを江戸城といった。緑豊かな雑木林に日本庭園や皇室関連の施設、江戸城の遺構などが残されている。戦後、特別史跡に指定され、1968101日から一般に公開されるようになった。

かつての江戸城の本丸などがあった場所で、明治時代から戦前までは宮内庁や皇室関連の施設があった。戦後の1960年に閣議決定により一般公開される運びになり、1963年に特別史跡に指定、1968年から一般公開されるようになった。苑内は庭園のほか、歴史的な史跡も見ることができ、国内のみならず海外からの旅行者も多く訪れる。

 

西郷隆盛と勝海舟が江戸城明け渡しの会見をした場所  池上本門寺の松涛園

 池上本門寺(いけがみほんもんじ)は、東京都大田区池上一丁目にある、日蓮宗の寺院。

松涛園(しょうとうえん)

本殿裏、朗峰会館北側に位置する。小堀遠州の作庭。1868年(明治元年)4月、西郷隆盛と勝海舟が江戸城明け渡しの会見をした場所。隆盛の弟西郷従道が揮毫した西郷・勝両雄会見碑が園内に残る。1991年(平成3年)に園内の改修が行われた。園内には「根庵」「鈍庵」「松月亭」「浄庵」の茶室がある。

「根庵」は三井の祖、益田鈍翁(考)庇護厚かった陶芸家大野鈍阿の住まいであった。この建物と「鈍庵」の二棟を裏千家より寄贈され移築したものである。

「鈍庵」に対して根庵と名付けられ、八畳間の茶室二間、一回の最大収容人数は五十名である。「鈍庵」は四畳中板の茶室で栗材を使った建物である。「鈍庵」の名は、大野鈍阿が自らの名にちなんで付けたものである。

「松月亭」は庭の西の小高い見晴らしの良い場所に建てられた四阿で、茶会では立礼席として使用され、床机等を配し六十名の席を作ることができる。

「浄庵」は平成四年に完成した茶室で庭園の一番高いところにあり、国賓などを接遇できる茶室は、法華思想である「水」にちなみ「浄庵」と命名されている。

日本で最初の屋上緑化ともいえる 朝倉彫塑館の庭園

朝倉彫塑館(あさくらちょうそかん)は東京都台東区谷中にある、明治-昭和の彫刻・彫塑家であった朝倉文夫のアトリエ兼住居を改装した美術館である。1986年に台東区に移管され、現在は財団法人台東区芸術文化財団が運営・管理を行っている。

鉄筋コンクリート作りの旧アトリエ部分と、丸太と竹をモチーフにした数寄屋造りの旧住居部分からなり、その和洋折衷の特異な建築は朝倉文夫本人が自ら設計し、その意向が強く生かされている。

展示室は彫塑作品を展示する旧アトリエ部分を中心にして、遺品や蔵書を納めた書斎、コレクション品などを収めた応接室等があり、他にも掛軸、陶磁器など朝倉文夫のコレクションを展示している。また東洋ランの温室であったサンルームは「猫の間」とよばれ、文夫の愛した猫をモチーフにした作品が一堂に会している。

庭園

朝倉彫塑館を特徴付けるのは、中庭の池を中心とした日本庭園と、大きなオリーブの樹が印象的な屋上菜園である。池は谷中の湧水を利用しており、四季折々必ず白い花をつける木が植えられ、儒教の五常「仁・義・礼・智・心」を造形化した5つの巨石が配されたユニークな造園様式である。

また日本で最初の屋上緑化ともいえるその菜園は自然に触れることを芸術の基本と考えていた朝倉文夫の理念そのものであり、当時は大根やトマト、東洋ラン等が育てられていた。現在は花壇となっている。

いずれも入館者に広く公開されており、住宅街の路地入り組む中に佇む小さな個人美術館でありながら、非常に特徴的である。2001年(平成13年)に彫塑館の建物全体が国の登録有形文化財に登録された。また2008年に庭園が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定された。

都市公園としてはニューヨーク市のセントラルパークに次いで世界第2位の広さ 偕楽園

 偕楽園(かいらくえん)は、日本・茨城県水戸市にある日本庭園である。

偕楽園 梅林

好文亭岡山市の後楽園や金沢市の兼六園と並んで、「日本三名園」の一つに数えられる。

広さは約13ヘクタール。1003000本のウメ(梅)が植えられている。園内にはウメの異名「好文木」に由来する「好文亭」がある。

毎年2月下旬から3月下旬には、「水戸の梅まつり」が開催される。開催期間中には多数の観光客で賑わい、キャンドルライトを使って梅をライトアップする「夜梅祭」や茶会など様々な催し物が行われる。

5月には「つつじまつり」、9月には「水戸の萩まつり」が行わる。

19997月に隣接する千波公園などとあわせて名称を「偕楽園公園」とした。面積は合計300ヘクタールであり、都市公園としてはニューヨーク市のセントラルパークに次いで世界第2位の広さである。現在は茨城県の県営公園となっている。

陰陽の世界

偕楽園の正式な入り口である旧来の表門は、敷地の北西側に位置しており、この表門は黒塗りであることから「黒門」とも呼ばれている。

表門から園内に入り、「一の木戸」と呼ばれる門を潜ると、偕楽園の西半分を構成するモウソウチク(孟宗竹)やスギ(杉)の鬱蒼した林の中を進む道が続いている。この道に沿って東へと進み、幾つかの門を経由して好文亭へと至ると風景が一転し、千波湖を一望する高台に位置する、明るく華やかな一面の梅林へと到着する。

好文亭付近には、偕楽園創設の趣旨を記した石碑「偕楽園記の碑」があり、自然界の陰と陽の調和についての説明がある。偕楽園は西半分に位置する杉や竹の林が陰の世界を、北東の梅林が陽の世界を表すことで、園全体で陰陽の世界を体現しているともいわれ、表門から入ってこそ園の設計に沿った、偕楽園本来の魅力を堪能することができるのだと解釈する説もある。

一方、現代においては、表門は偕楽園駅や主要な駐車場から遠く離れており、この門から入園する観光客は少ない。現在は梅林へと直接通じる「東門」が主要な出入り口として利用されている。

 

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