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千利休62歳の時に作られた苔一面の枯山水庭園 黄梅院

 黄梅院(おうばいいん)は京都府京都市北区紫野にある、臨済宗大本山大徳寺の塔頭(たっちゅう)である。通常は公開されていない。

歴史

永禄5年(1562年)に春林宗俶(大徳寺98世)により黄梅庵として草創された。春林は織田信長が帰依した禅僧である。

その後、春林の法嗣の玉仲宗琇(大徳寺112世)が豊臣秀吉、小早川隆景らの帰依を受け、堂宇を整備。黄梅院と改められた。天正14年(1586年)に本堂・唐門(玄関)が、天正17年(1589年)に庫裏などが整備されている。当院は近世を通じて毛利家の保護下にあった。

建造物

本堂(重要文化財)

天正14年(1586年)に豊臣秀吉の援助により建立された本瓦葺・入母屋造の建物で、禅宗特有の特徴がよくみられる。昭和52年(1977年)に約400年ぶりに解体修理が行われた。内部の襖絵(重要文化財)は雪舟の画風を継承した毛利家・御用絵師である雲谷等顔(うんこくとうがん)筆で、室中の「竹林七賢図」や檀那の間の「西湖図」など44面が残る。

書院・自休軒(じきゅうけん)

大徳寺を開いた大燈国師の遺墨「自休」を扁額に懸けて軒名としたもので、千利休の師・武野紹鴎(たけのじょうおう)好みと伝わる昨夢軒(さくむけん)という4畳半の茶室がある。

庫裏(重要文化財)

天正17年(1589年)に小早川隆景の寄進によって建立された切妻造・板葺の建物で、日本で現存最古の禅宗寺院の庫裏とされ、禅宗寺院の生活様式を今に伝える。

唐門(重要文化財)

本堂と同時期に秀吉により建立される。重要文化財指定名称は「玄関」。  

表門

庫裏と同じく小早川隆景により建立されたもので、平成17年(2005年)に修理された。

鐘楼

梵鐘は天正19年(1592年)に加藤清正により寄進されたもので、朝鮮伝来のものと伝わる。

庭園

直中庭(じきちゅうてい)

千利休62歳の時に作られた苔一面の枯山水庭園で、豊臣秀吉の希望による瓢箪を象った池を手前に配し、加藤清正が持ち帰った朝鮮灯籠が据えられている。

破頭庭(はとうてい)

本堂の前庭にあたる簡素な庭で、天正年間に作られたといわれる。

作仏庭(さぶつてい)

本堂の北裏側にある庭で、生々流転(しょうじょうるてん)を表しているという。

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池を中心とした浄土式庭園 円成寺

円成寺(えんじょうじ)は、奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)にある真言宗御室派の仏教寺院。山号は忍辱山(にんにくせん)、本尊は阿弥陀如来。

奈良市街東方の柳生街道沿いに位置する古寺で、仏師・運慶のもっとも初期の作品である国宝・大日如来像を所蔵する。

境内

正門にあたる楼門の前には平安時代の面影を残す、池を中心とした浄土式庭園(名勝)が広がる。楼門を入ると本堂を中心に鎮守社の春日堂、白山堂、宇賀神本殿、多宝塔などが建つ。

現存する多宝塔は平成2年(1990年)の再建で、旧多宝塔は大正9年(1920年)、老朽化のため撤去された。ちなみに、鎌倉市の長寿寺にある観音堂は、旧円成寺多宝塔の初層部分の材を用いて建てられたものである。

沿革

寺に伝わる「和州忍辱山円成寺縁起」によれば、沿革は次の通りである。

天平勝宝8歳(756年)、聖武・孝謙両天皇の勅願により、鑑真の弟子にあたる僧・虚瀧(ころう)により開創される。万寿3年(1026年)に命禅が再興して十一面観音を祀ったという。しかし、鑑真とともに来日した僧の中に虚瀧なる人物は実在せず、奈良時代にさかのぼる遺品、出土品等も見当たらない。以上のことから、この草創縁起は後世の仮託と思われ、「中興の祖」とされている命禅が円成寺の実質的な開基であると推定されている。

平安時代末期の保元元年(1156年)、京都仁和寺の寛遍が東密忍辱山流(とうみつにんにくせんりゅう)を開き、寺運は興隆した。この頃に本尊が当初の十一面観音から阿弥陀如来に代わったと思われる。

室町時代、応仁の乱(1466-1476年)の兵火により堂塔伽藍の大半が焼失したが、栄弘が入り再興された。

江戸時代は寺中に子院23か寺を有するほどであった。

明治の廃仏毀釈による混乱により衰え、現在に至る。

京都府京都市東山区 雲龍院の庭園

 雲龍院(うんりゅういん)は京都府京都市東山区にある仏教寺院。泉涌寺別院。山号は瑠璃山で、本尊は薬師如来。

南北朝時代は北朝の後光厳天皇の勅願により、竹巌聖皐を開山として応安5年(1372年)に創建された。後小松天皇、称光天皇など皇室の帰依を受けて発展したとされる。江戸時代初期、如周宗師が隣接する後円融天皇縁の龍華院を併合する。

勅願の寺院で皇室との縁の深さから、塔頭と同じく泉涌寺山内にありながら別格本山という高い寺格が与えられている。

龍華殿(本堂) - 室町時代は康応元年(1389年)に後円融天皇により建立されたが焼失。現在の堂は江戸時代は寛永年間の再建。寄棟、こけら葺き。国の重要文化財(昭和41年(1966年)指定)。

霊明殿 - 皇族の位牌堂、明治元年(1868年)再建。

不明門(正門)

庭園 – 庭石の2つは、東山七条にあった豊臣秀吉建立の大仏殿の礎石と伝わる。

 

湖西岸の畔という立地を生かした設計 居初氏庭園

居初氏庭園(いそめしていえん)は滋賀県大津市堅田の琵琶湖畔にある日本庭園。園内にある茶室「天然図画亭」(てんねんずえてい)から、天然図画亭庭園とも呼ばれる。国指定の名勝。

堅田の豪族三家の一つである居初氏の邸宅に伝わる茶庭で、その縁者である北村幽安とその師である茶人藤村庸軒により、天和元年(1681年)以前に築かれたとされる。

庭園は書院と繋がる茶室「天然図画亭」の東側と北側に位置し、琵琶湖の浜辺である東側は石垣により境界を成す。

天然図画亭からの眺望は琵琶湖と対岸の三上山を中心とする湖東の連山が借景となるよう、湖西岸の畔という立地を生かした設計がなされている。

昭和56年(1981年)611日に国の名勝に指定された。

前園と後園の二つに分かれており、それぞれが異なった景観を見せる 依水園

依水園(いすいえん)は奈良県奈良市にある池泉回遊式庭園(日本庭園)。国の名勝に指定されている。

概要

前園と後園の二つに分かれており、それぞれが異なった景観を見せる。前園は寛文12年(1673年)に晒職人であった清須美道清の作庭で、茶室「三秀亭」がシンボル。後園は明治時代に実業家関藤次郎が築いた築山式の池泉回遊式庭園で、作庭は裏千家十二世又妙斎宗室による。

寧楽の都をモチーフとし、若草山や東大寺南大門などを借景とする。いずれも大和川支流吉城川(よしきがわ)の水を引いている。

海運業で財を成した中村家が1939年に買い取り、前園と後園を合わせた形に整備した。1969年には、中村家所蔵の美術品を展示するため、寧楽美術館を建設して一般公開している。

名の由来は諸説あり、池が吉城川の水に依っているためという説や、然庭園内の池が草書体の水の形をしていることに由来するという説、杜甫の「名園緑碌水」の句に由来するなどの説があるが、はっきりしたことは分かっていない。

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