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湖西岸の畔という立地を生かした設計 居初氏庭園

居初氏庭園(いそめしていえん)は滋賀県大津市堅田の琵琶湖畔にある日本庭園。園内にある茶室「天然図画亭」(てんねんずえてい)から、天然図画亭庭園とも呼ばれる。国指定の名勝。

堅田の豪族三家の一つである居初氏の邸宅に伝わる茶庭で、その縁者である北村幽安とその師である茶人藤村庸軒により、天和元年(1681年)以前に築かれたとされる。

庭園は書院と繋がる茶室「天然図画亭」の東側と北側に位置し、琵琶湖の浜辺である東側は石垣により境界を成す。

天然図画亭からの眺望は琵琶湖と対岸の三上山を中心とする湖東の連山が借景となるよう、湖西岸の畔という立地を生かした設計がなされている。

昭和56年(1981年)611日に国の名勝に指定された。

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前園と後園の二つに分かれており、それぞれが異なった景観を見せる 依水園

依水園(いすいえん)は奈良県奈良市にある池泉回遊式庭園(日本庭園)。国の名勝に指定されている。

概要

前園と後園の二つに分かれており、それぞれが異なった景観を見せる。前園は寛文12年(1673年)に晒職人であった清須美道清の作庭で、茶室「三秀亭」がシンボル。後園は明治時代に実業家関藤次郎が築いた築山式の池泉回遊式庭園で、作庭は裏千家十二世又妙斎宗室による。

寧楽の都をモチーフとし、若草山や東大寺南大門などを借景とする。いずれも大和川支流吉城川(よしきがわ)の水を引いている。

海運業で財を成した中村家が1939年に買い取り、前園と後園を合わせた形に整備した。1969年には、中村家所蔵の美術品を展示するため、寧楽美術館を建設して一般公開している。

名の由来は諸説あり、池が吉城川の水に依っているためという説や、然庭園内の池が草書体の水の形をしていることに由来するという説、杜甫の「名園緑碌水」の句に由来するなどの説があるが、はっきりしたことは分かっていない。

2008年3月に国の登録記念物に登録 石谷家住宅の庭園

石谷家住宅(いしたにけじゅうたく)は、鳥取県八頭郡智頭町にある。国の重要文化財。

江戸時代に鳥取藩最大の宿場町として栄えた智頭宿における最も大きな建物の一つで、智頭往来に面して建つ。敷地面積は約10,000平方メートル、広大な池泉回遊式日本庭園を中心に配された部屋は40、土蔵は7を数える。

江戸時代の庄屋建築を、戦前に、衆議院議員・貴族院議員を務めた当主の石谷伝四郎が10年にわたって改築し続けた。現在残る形になったのは伝四郎の死後4年を経た1927年である。さまざまな様式が調和した豪壮な邸宅は近代和風建築の傑作とされる。

主屋など8棟ならびに敷地が国の重要文化財に指定され、玄関棟など5棟、関係文書および棟札が重要文化財の附(つけたり)指定となっている(以上は200912月指定)。また庭園は20083月に国の登録記念物に登録されている。主屋は1928年の竣工。蔵などの付属建物もは戦前に建てられた物である。

 

奥羽三大地主の一つに数えられた豪農池田家の庭園 池田氏庭園

池田氏庭園(いけだしていえん)とは、秋田県大仙市高梨に所在する池田家の庭園。

池田家は、その始祖を、享保年間(1716- 1735年)、高梨村肝煎孫左衛門にさかのぼると伝えられ、近代においては奥羽三大地主の一つに数えられた豪農で、明治時代から太平洋戦争終結まで秋田県の政治・経済・文化に大きな足跡をのこした資産家である。

42,000平方メートル(12,700坪)の広大な敷地は、池田氏の家紋にならって亀甲の平面形を呈しており、周囲は石垣を伴う濠と土塁で区画され、屋敷林をともなう散居でもとりわけ規模のうえで傑出した景観を有している。

池泉廻遊式の庭園や笠の直径が約4メートルもある巨大な雪見灯籠、1922年(大正11年)竣工の洋館(私立図書館)を配している。現在、過去の地震で倒壊した高さ4.8メートルの五重塔も復元されている。普段は一般公開はされていないものの、年に数回特別公開する。2007年(平成19年)829日には洋館の修復作業も人数限定で見学会を行った。

2004年(平成16年)227日に国の名勝に指定されている。

2007年(平成19年)112日に池田家当主より、土地や建物の一部が大仙市に寄贈された。

 

 

西郷隆盛と勝海舟が江戸城明け渡しの会見をした場所  池上本門寺の松涛園

 池上本門寺(いけがみほんもんじ)は、東京都大田区池上一丁目にある、日蓮宗の寺院。

松涛園(しょうとうえん)

本殿裏、朗峰会館北側に位置する。小堀遠州の作庭。1868年(明治元年)4月、西郷隆盛と勝海舟が江戸城明け渡しの会見をした場所。隆盛の弟西郷従道が揮毫した西郷・勝両雄会見碑が園内に残る。1991年(平成3年)に園内の改修が行われた。園内には「根庵」「鈍庵」「松月亭」「浄庵」の茶室がある。

「根庵」は三井の祖、益田鈍翁(考)庇護厚かった陶芸家大野鈍阿の住まいであった。この建物と「鈍庵」の二棟を裏千家より寄贈され移築したものである。

「鈍庵」に対して根庵と名付けられ、八畳間の茶室二間、一回の最大収容人数は五十名である。「鈍庵」は四畳中板の茶室で栗材を使った建物である。「鈍庵」の名は、大野鈍阿が自らの名にちなんで付けたものである。

「松月亭」は庭の西の小高い見晴らしの良い場所に建てられた四阿で、茶会では立礼席として使用され、床机等を配し六十名の席を作ることができる。

「浄庵」は平成四年に完成した茶室で庭園の一番高いところにあり、国賓などを接遇できる茶室は、法華思想である「水」にちなみ「浄庵」と命名されている。

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